「死」を考えることは、「生きる」を考えること
今年の8月は、私にとって大切な人たちの初盆でした。
一人は義理の母。もう一人は、中学時代からの友人です。
義母は、昨年8月に89歳で他界しました。
実の母よりも長い時間を共に過ごし、3人の子育てと仕事を惜しみなく支えてくれた、生涯現役の主婦でした。
病気が見つかってから、わずか1か月あまり。「またね」と言うように、穏やかに旅立っていきました。
孫たちに囲まれて見送られるその姿からは、義母がどれほど深い愛情を家族に注いできたのかが伝わってきました。
「その人がどんな人生を送ってきたかは、亡くなった時にわかる」
そんな言葉を思い出しながら、1年経った今、見返りを求めない愛で家族を支え続けた義母の偉大さと、私もそんな生き方をしたいという想いが、改めて心に湧いてきました。
もう一人の友人とは、とても不思議なご縁でした。
何十年も連絡を取らない時期があっても、ふとお互いを思い出し、また自然に繋がる。本音で語り合え、深いところで信頼し合える大切な存在でした。
さまざまな困難を乗り越え、ようやく自分の使命を見つけて歩き始めた矢先の別れは、私にとっても大きな衝撃でした。
彼女はいつも、私に問いかけていました。
「本気で生きているの?」
自分の本当の気持ちで選んでいるのか。心からの言葉で話しているのか。他人軸ではなく、自分に正直に生きているのか。
その問いは、今でも私の中で生き続けています。
こんな形で終わってほしくなかったという悲しみと、生きているだけで誰もが誰かの大切な存在なのだという想いが、胸いっぱいに広がりました。
二人の死に思いを巡らせるたび、私の心が向かうのは「死」ではなく、「どう生きるか」という問いです。
私自身も、病気をきっかけに死と向き合い、生きることを見つめ直しました。そして、その先に生まれたのが和整體サロンCURAです。
何かに本気で取り組める情熱は、本当に素晴らしい。
でも、周りを優先し、自分を置き去りにしたまま頑張り続けると、いつしか自分の価値を「役割」や「成果」で測るようになってしまいます。
私は、そうではないことを伝えたい。
何かができるから価値があるのではない。あなたという存在そのものに価値がある。
そのことを、言葉だけでなく「手あて」を通して届けていきたい。
そんな決意を、改めて心に刻んだ8月でした。


